イギリスの救貧制度の歴史に関する記述として、誤っているものはどれか。
- ①エリザベス救貧法は、貧民を労働能力の有無などで分類して扱った
- ②ギルバート法は、労働能力のある貧民に院外救済を認めた
- ③新救貧法は、院外救済を拡大し、劣等処遇の原則を廃止した
- ④スピーナムランド制度は、低賃金の労働者に賃金の補助を行った
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1834年の新救貧法(改正救貧法)は、それまで救済費が膨らんだことへの反省から、救済を厳しくする方向で改められた法律です。労働能力のある貧民への院外救済(施設の外で暮らしたまま受ける救済)を原則として廃止してワークハウス(労役場)への収容に限り、救済を受ける者の生活水準は自力で働く最下層の労働者より低くなければならないという劣等処遇の原則を採用しました。したがって、院外救済を拡大し劣等処遇を廃止したとする記述は、内容が正反対で誤りです。
他の選択肢が適切な理由
・エリザベス救貧法:正しい記述です。1601年に制定され、貧民を「労働能力のある貧民」「労働能力のない貧民」「扶養する者のない児童」などに分け、働ける者には労働を課し、働けない者は救済し、児童は徒弟に出すという扱いをしました。教区ごとに救貧税を徴収して運営しました。
・ギルバート法:正しい記述です。1782年に制定され、労働能力のある貧民に対し、ワークハウスに収容せずに仕事を紹介するなどの院外救済を認めました。救貧制度を人道的な方向へ改めた法律とされます。
・スピーナムランド制度:正しい記述です。1795年に始まり、パンの価格と家族の人数をもとに、低賃金の労働者の収入を一定水準まで補う賃金補助を行いました。救済費の増大を招き、新救貧法制定の背景になりました。
【覚え方のポイント】
年代順に「1601年 エリザベス(分類して対応)→1782年 ギルバート(院外救済を認め緩和)→1795年 スピーナムランド(賃金補助でさらに拡大)→1834年 新救貧法(引き締め:院外救済廃止・劣等処遇)」と、緩和から引き締めへの流れで覚えると、正誤を判断しやすくなります。