2026年版・2-10

保育の思想と歴史(国内・海外)の一問一答

保育士 筆記試験「保育原理」から、保育の思想と歴史(国内・海外)に関する4択問題を10問。「答えと解説を見る」を開くと、正解とその理由がその場で読めます。会員登録は不要です。

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問題

上から順に解いてみてください。答えは各問の下で確認できます。

問12-10

1840年にドイツで「一般ドイツ幼稚園」を創設し、「恩物」と呼ばれる遊具を考案した人物はだれか。

  • ①ペスタロッチ
  • ②フレーベル
  • ③オーエン
  • ④モンテッソーリ
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正解 ②フレーベル
解説

フレーベル(1782〜1852)はドイツの教育者で、1840年に世界で最初の幼稚園とされる「一般ドイツ幼稚園」を創設しました。幼稚園(Kindergarten)は「子どもたちの庭」という意味で、植物が庭師に世話されて育つように、子どもも適切な環境の中で内にある力を伸ばしていくという考えが込められています。
フレーベルは、遊びを子どもの内面の表現であり最も大切な活動であると考え、そのための教育的遊具として恩物(神から与えられたもの、という意味)を考案しました。球や立方体などの形を通して、子どもが遊びながら世界の成り立ちを感じ取れるよう工夫されています。主著は『人間の教育』です。

他の選択肢が不適切な理由

・ペスタロッチ:スイスの教育者で、孤児や貧民の子どもの教育に尽くし、『隠者の夕暮』などを著しました。フレーベルはペスタロッチの学校で学んだことがあり、影響を受けています。
・オーエン:イギリスの実業家で、ニュー・ラナークの工場内に性格形成学院を開き、幼児学校を設けました。
・モンテッソーリ:イタリアの医師で、1907年にローマに「子どもの家」を開設し、感覚教育のための教具を考案しました。

【覚え方のポイント】
「フレーベル=幼稚園・恩物・『人間の教育』」「モンテッソーリ=子どもの家・教具」「オーエン=性格形成学院」。遊具(恩物)と教具(モンテッソーリ)を取り違えないようにしましょう。
問22-10

イギリスのニュー・ラナークの紡績工場に性格形成学院を開設し、その中に幼児のための学校を設けた人物に関する記述として、正しいものはどれか。

  • ①人間の性格は環境によって形成されると考えた実業家のオーエンである
  • ②恩物を用いた遊びを通して幼児の内面を育てようとしたフレーベルである
  • ③『エミール』を著し、自然に従う教育を説いた思想家のルソーである
  • ④保育学校を開き、貧困家庭の幼児の健康を重視したマクミランである
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正解 ①人間の性格は環境によって形成されると考えた実業家のオーエンである
解説

オーエン(1771〜1858)はイギリスの実業家・社会改革者で、スコットランドのニュー・ラナークの紡績工場の経営者でした。人間の性格は生まれつきではなく環境によって形成されると考え、労働者の生活環境の改善や子どもの教育に力を注ぎました。1816年、工場内に性格形成学院を開設し、その中に幼い子どものための幼児学校を設けました。これはイギリスにおける幼児学校の先駆けとされます。
当時は幼い子どもも工場で長時間働かされることが珍しくなく、オーエンは児童労働の制限にも取り組みました。働く親の子どもを預かって育てるという点で、今日の保育所につながる先駆的な実践といえます。

他の選択肢が不適切な理由

・フレーベル:ドイツで一般ドイツ幼稚園を創設し、恩物を考案した人物です。
・ルソー:フランスで活躍した思想家で、『エミール』で子どもの自然な成長を尊重する教育を説きましたが、学校を開設してはいません。
・マクミラン:マクミラン姉妹(マーガレット・マクミランら)はイギリスで保育学校(ナーサリー・スクール)を開き、貧困地域の幼児の健康や栄養を重視しました。ニュー・ラナークとは関係ありません。

【覚え方のポイント】
「オーエン=ニュー・ラナーク・性格形成学院・環境が性格をつくる」。同じイギリスの「マクミラン姉妹=保育学校(ナーサリー・スクール)」と区別しておきましょう。
問32-10

モンテッソーリに関する記述として、誤っているものはどれか。

  • ①イタリアの医師で、1907年にローマで「子どもの家」を開設した
  • ②子どもの感覚を育てるための教具を考案し、感覚教育を重視した
  • ③子どもが自ら学ぶ力を信じ、自由な選択と自己活動を大切にした
  • ④幼児教育のための遊具として「恩物」を考案し、幼稚園を創設した
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正解 ④幼児教育のための遊具として「恩物」を考案し、幼稚園を創設した
解説

「恩物」を考案し、幼稚園を創設したのはフレーベルです。モンテッソーリの業績ではありません。
モンテッソーリ(1870〜1952)はイタリア初の女性医師の一人で、障害のある子どもの教育に関わった経験をもとに、1907年、ローマのサン・ロレンツォ地区に「子どもの家」を開設しました。子どもには自ら学び成長する力が備わっていると考え、整えられた環境の中で子どもが自分で教具を選び、集中して取り組む活動を重視しました。大人の役割は、子どもの自己活動を助けるための環境を整え、見守ることにあるとされています。

他の選択肢が適切な理由

・医師で、ローマに子どもの家を開設:正しい記述です。
・感覚教育のための教具:正しい記述です。大きさや色、重さなどを比べる教具が代表的です。
・自由な選択と自己活動を重視:正しい記述です。モンテッソーリ教育の中心となる考え方です。

【覚え方のポイント】
「教具(モンテッソーリ)」と「恩物(フレーベル)」の混同は頻出です。「子どもの家=モンテッソーリ」「幼稚園=フレーベル」と施設名とセットで覚えましょう。
問42-10

保育・幼児教育の先駆者と、その人物が関わった施設・活動の組み合わせとして、誤っているものはどれか。

  • ①オーベルラン―幼児保護所(編み物学校)
  • ②マクミラン姉妹―保育学校(ナーサリー・スクール)
  • ③ペスタロッチ―一般ドイツ幼稚園
  • ④モンテッソーリ―子どもの家
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正解 ③ペスタロッチ―一般ドイツ幼稚園
解説

一般ドイツ幼稚園を創設したのはフレーベルです。ペスタロッチ(1746〜1827)はスイスの教育者で、シュタンツの孤児院やブルクドルフ、イヴェルドンの学校で教育実践を行い、『隠者の夕暮』『リーンハルトとゲルトルート』などを著しました。直観を重視した教育(直観教授)や、家庭の「居間の教育」の大切さを説いた人物として知られています。

他の選択肢が不適切な理由

・オーベルラン―幼児保護所(編み物学校):正しい組み合わせです。フランスのアルザス地方の牧師オーベルランは、農村の貧しい家庭の子どもたちのために幼児保護所を開き、編み物などを教えながら子どもを保護しました。編み物学校とも呼ばれ、幼児教育施設の先駆けとされます。
・マクミラン姉妹―保育学校(ナーサリー・スクール):正しい組み合わせです。イギリスのマクミラン姉妹は、貧困地域の幼い子どもの健康や栄養を重視した保育学校を開きました。
・モンテッソーリ―子どもの家:正しい組み合わせです。1907年にローマに開設されました。

【覚え方のポイント】
保育施設の起源は「オーベルラン(フランス・幼児保護所)→オーエン(イギリス・性格形成学院)→フレーベル(ドイツ・幼稚園)→マクミラン姉妹(イギリス・保育学校)→モンテッソーリ(イタリア・子どもの家)」と国名と施設名をセットで覚えましょう。
問52-10

1890年(明治23年)、新潟市で私塾「新潟静修学校」を開き、生徒が連れてくる幼い弟や妹を別室で預かって保育したことが、日本の保育所の始まりの一つとされる人物はだれか。

  • ①野口幽香
  • ②赤沢鍾美
  • ③石井十次
  • ④倉橋惣三
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正解 ②赤沢鍾美
解説

赤沢鍾美(あかざわ・あつとみ)は、1890年(明治23年)、新潟市に私塾の新潟静修学校を開きました。貧しい家庭の生徒たちは幼い弟や妹の子守りをしなければならず、子どもを背負ったまま通学していました。そこで赤沢と妻の仲子は、生徒が勉強に集中できるよう幼い子どもたちを別室で預かって保育しました。これが日本の託児施設の先駆けの一つとされ、のちに「守孤扶独幼稚児保護会」と呼ばれるようになりました。
働く家庭や貧しい家庭の子どもを保護するという点で、教育を目的とした幼稚園とは異なる、保育所の源流を示す実践です。

他の選択肢が不適切な理由

・野口幽香:森島峰とともに、東京に貧しい家庭の子どものための二葉幼稚園を開いた人物です。
・石井十次:岡山孤児院を創設し、「児童福祉の父」とも呼ばれる人物です。
・倉橋惣三:東京女子高等師範学校附属幼稚園の主事を務め、「誘導保育」を提唱した人物です。

【覚え方のポイント】
「赤沢鍾美=新潟静修学校(明治23年)=託児の先駆け」「野口幽香=二葉幼稚園」「石井十次=岡山孤児院」。保育所・幼稚園・児童養護施設の源流を人物で整理しましょう。
問62-10

野口幽香に関する記述として、正しいものはどれか。

  • ①保育問題研究会を結成し、社会中心主義の保育を理論的に主張した
  • ②日本で最初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園を創設した
  • ③森島峰とともに、貧しい家庭の子どものための二葉幼稚園を開いた
  • ④岡山孤児院を創設し、小舎制による家庭的な養育を実践していった
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正解 ③森島峰とともに、貧しい家庭の子どものための二葉幼稚園を開いた
解説

野口幽香は、華族女学校附属幼稚園の保母をしていたとき、通勤途中に見かける貧しい家庭の子どもたちが教育を受けられずにいることに心を痛め、同僚の森島峰とともに、1900年(明治33年)、東京に二葉幼稚園を開きました。当時の幼稚園は主に裕福な家庭の子どもが通うものでしたが、二葉幼稚園は貧しい家庭の子どもを対象とし、長時間の保育や生活面の世話も行いました。のちに二葉保育園と改称し、社会事業としての保育の先駆けとなりました。

他の選択肢が不適切な理由

・東京女子師範学校附属幼稚園を創設:同園は1876年(明治9年)に開設された日本最初の官立幼稚園で、野口幽香が創設したものではありません。
・保育問題研究会を結成:これは城戸幡太郎の業績です。
・岡山孤児院を創設:これは石井十次の業績です。

【覚え方のポイント】
明治期の保育の先駆者は「赤沢鍾美(新潟・託児)」「野口幽香と森島峰(東京・二葉幼稚園・貧困家庭)」。どちらも「働く家庭・貧しい家庭の子どもを守る」という保育所の源流につながる実践です。
問72-10

1876年(明治9年)に開設された東京女子師範学校附属幼稚園に関する記述として、最も適切なものはどれか。

  • ①モンテッソーリの教具を全面的に取り入れ、感覚教育を中心に保育を行った
  • ②働く母親の子どもを預かるため、工場に併設された日本最初の託児所である
  • ③貧しい家庭の子どもを対象とし、長時間の保育や生活の世話を中心に行った
  • ④日本最初の官立幼稚園で、フレーベルの恩物を中心とした保育を行っていた
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正解 ④日本最初の官立幼稚園で、フレーベルの恩物を中心とした保育を行っていた
解説

東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)は、1876年(明治9年)に開設された日本最初の官立幼稚園です。ドイツでフレーベル主義の保育を学んだ松野クララが主任保姆として指導にあたり、フレーベルの恩物を中心とした保育が行われました。監事(園長にあたる)は関信三です。当時の保育は、恩物の扱い方を順序立てて教えることが中心になりがちで、のちに倉橋惣三らが形式化した恩物中心の保育を見直し、子どもの生活を中心とする保育へと改めていきました。

他の選択肢が不適切な理由

・工場に併設された託児所:同園は師範学校の附属幼稚園であり、託児所ではありません。
・貧しい家庭の子どもを対象:これは二葉幼稚園などの特徴です。当初の附属幼稚園には主に上流家庭の子どもが通いました。
・モンテッソーリの教具:モンテッソーリが子どもの家を開いたのは1907年で、1876年の開設時の保育とは関係ありません。

【覚え方のポイント】
「1876年・東京女子師範学校附属幼稚園・日本最初の官立幼稚園・恩物中心・松野クララ」。この形式的な恩物中心の保育を批判的に乗り越えたのが倉橋惣三、という流れで覚えましょう。
問82-10

倉橋惣三に関する記述として、最も適切なものはどれか。

  • ①子どもの生活を大切にし、自発的な生活を充実させる誘導保育を提唱した
  • ②保育問題研究会を組織し、集団生活を通した社会中心主義の保育を唱えた
  • ③新潟静修学校で、生徒の幼い弟や妹を預かって保育する活動を始めた
  • ④岡山孤児院を創設し、多くの孤児を家庭的な環境の中で養育した
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正解 ①子どもの生活を大切にし、自発的な生活を充実させる誘導保育を提唱した
解説

倉橋惣三(1882〜1955)は、東京女子高等師範学校附属幼稚園の主事を長く務め、日本の幼児教育に大きな影響を与えた人物です。形式化していた恩物中心の保育を批判し、子どもの生活そのものを大切にする保育を唱えました。子どもの自発的な生活をまず十分に尊重し、そのうえで保育者が生活に一定の系統や目的を与えて充実させていく方法を「誘導保育」と呼びました。「生活を、生活で、生活へ」という言葉は、倉橋の保育観を表すものとしてよく知られています。主著に『幼稚園真諦』があります。
戦後は、1948年に文部省が刊行した「保育要領」の作成にも中心的に関わりました。

他の選択肢が不適切な理由

・保育問題研究会、社会中心主義:これは城戸幡太郎の業績です。城戸は倉橋の児童中心主義的な考え方を批判しました。
・新潟静修学校:これは赤沢鍾美の業績です。
・岡山孤児院:これは石井十次の業績です。

【覚え方のポイント】
「倉橋惣三=誘導保育・『幼稚園真諦』・生活を、生活で、生活へ・児童中心」「城戸幡太郎=保育問題研究会・社会中心主義」。2人は対比でセット出題されやすいので、並べて覚えましょう。
問92-10

城戸幡太郎に関する記述として、正しいものはどれか。

  • ①1876年に開設された官立幼稚園で、主任保姆として恩物の指導にあたった
  • ②誘導保育を提唱し、「生活を、生活で、生活へ」という言葉で知られる
  • ③保育問題研究会を結成し、社会中心主義の立場から保育の在り方を論じた
  • ④滝乃川学園を創設し、知的障害のある子どもの教育と福祉に尽くした
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正解 ③保育問題研究会を結成し、社会中心主義の立場から保育の在り方を論じた
解説

城戸幡太郎は心理学者・教育学者で、昭和初期に保育者と研究者が協力して保育の課題を研究する保育問題研究会を結成しました。城戸は、子どもの興味や自発性を重んじる児童中心主義的な保育を批判し、子どもが集団生活の中で協力し合う力を育て、社会の一員として生きる力を養うことを重視する社会中心主義の立場を唱えました。現場の保育者とともに、実際の保育の問題を研究する方法をとった点にも特徴があります。

他の選択肢が不適切な理由

・誘導保育、「生活を、生活で、生活へ」:これは倉橋惣三の業績です。
・官立幼稚園の主任保姆として恩物を指導:これは東京女子師範学校附属幼稚園の松野クララについての記述です。
・滝乃川学園を創設:これは石井亮一の業績です。石井亮一は日本で最初の知的障害児施設とされる滝乃川学園を創設しました。

【覚え方のポイント】
「倉橋=児童中心・誘導保育」対「城戸=社会中心・保育問題研究会」。石井姓の人物も整理しておきます。「石井十次=岡山孤児院」「石井亮一=滝乃川学園」。
問102-10

第二次世界大戦後の保育・幼児教育に関する次のA〜Dの記述について、正しいものを○、誤ったものを×とした場合の正しい組み合わせはどれか。
A 1947年に制定された児童福祉法により、保育所は児童福祉施設として位置付けられた。
B 1947年に制定された学校教育法により、幼稚園は学校として位置付けられた。
C 1948年、文部省は幼児教育の手引きとして「保育要領」を刊行した。
D 保育所保育指針は、児童福祉法の制定と同時に告示として定められた。

  • ①A○ B× C○ D○
  • ②A○ B○ C○ D×
  • ③A× B○ C× D×
  • ④A○ B○ C× D○
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正解 ②A○ B○ C○ D×
解説

A ○:1947年(昭和22年)に制定された児童福祉法により、それまでの託児所などは「保育所」として児童福祉施設に位置付けられました。
B ○:同じ1947年に制定された学校教育法により、幼稚園は学校の一つとして位置付けられました。こうして、保育所は厚生行政(現在はこども家庭庁)、幼稚園は文部行政という二元的な体制が戦後の出発点となりました。
C ○:1948年(昭和23年)、文部省は「保育要領―幼児教育の手びき―」を刊行しました。幼稚園だけでなく保育所や家庭での保育にも役立つことを意図した手引きで、倉橋惣三が中心となって作成に関わりました。
D ×:保育所保育指針が初めて策定されたのは1965年(昭和40年)で、当時は通知でした。告示化されたのは2008年(平成20年)の改定のときです。

他の選択肢が不適切な理由

・A○ B× C○ D○:Bは○、Dは×です。
・A× B○ C× D×:AとCは○です。
・A○ B○ C× D○:Cは○、Dは×です。

【覚え方のポイント】
「1947年=児童福祉法(保育所)・学校教育法(幼稚園)」「1948年=保育要領」「1956年=幼稚園教育要領」「1965年=保育所保育指針(通知)」「2008年=指針の告示化」。年代順に並べて覚えましょう。
保育士 筆記試験の問題を続けて解く(全1000問) 保育原理の一問一答

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